大判例

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神戸地方裁判所 平成2年(行ウ)9号 判決 1991年10月15日

原告

富樫清一

被告

西宮労働基準監督署長末吉務

右指定代理人上席訟務官

大下勝弘

同訟務官

山崎正義

同労働事務官

沼田正宏

同労働事務官

宗光甫友

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し、昭和六一年一月一七日付けでした労働者災害補償保険法による障害補償給付に関する処分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  原告は、住友建設株式会社が施行する西宮市上ケ原山田町一八の一のイトーピア甲陽園マンション新築工事現場において、下請業者富樫建設の型枠工として働いていたものであるが、昭和五九年一二月五日午後二時四〇分頃、作業として太さ三×四センチメートル長さ四メートルの角材五、六本を肩に担いで運搬中、ユンボーで掘ったエスカレーター建設用の穴に転落し、鉄筋にあたって右脇腹と左足を負傷(以下「本件傷害」という。)した。

2  原告は、本件障害の治療のため、翌六日から西宮市所在の山戸外科医院へ通院したが、同医院では「腹壁及び腹直筋圧挫傷」「左膝関節挫傷(捻挫)」との診断を受けた。次いで同年一二月二二日頃、加藤外科病院(診断名―左外傷性膝関節炎)に、同月三〇日頃には自宅のある新潟県に帰って同県立瀬波病院(診断名―左膝内側々副靱帯損傷、左膝関節水腫)へと順次転院し、同瀬波病院では昭和六〇年一月四日から同月二四日までの間入院した。その後、同年二月四日には稼働先の兵庫県に戻り、県立西宮病院で「左膝内側側副靱帯損傷、左膝関節内水腫」との診断を受けて同病院に五〇日間程入院した後、通院して治療を受けた。また、同年四月一二日頃からは関西労災病院(診断名―左膝関節捻挫)に同年六月五日から同月一五日頃までの間入院し、その後同年一一月三〇日まで通院して治療を受けた。

そして、右西宮県立病院において、右一一月三〇日、症状固定により治癒したとの診断を受けるに至った。

3  原告は、昭和六〇年一二月二日、本件傷害による後遺障害が存するとして被告に対し、労働者災害補償保険法による障害補償給付の請求をした。被告は、昭和六一年一月一七日、原告には同法施行規則別表に定める障害等級(以下「障害等級」という。)第一四級に該当する後遺障害が存するものとして、障害補償給付を支給する旨の決定(以下「本件処分」という。)をし、原告に対し、障害補償一時金四九万九一八四円及び定額の障害特別支給金八万円の計五七万九一八四円を支給した。

4  原告は、本件処分を不服として、兵庫県労働者災害補償保険審査官に対し、審査請求したが、同審査官は、昭和六二年一月二七日、右請求を棄却した。そこで原告は、労働保険審査会に再審査の請求をしたところ、同審査会は、平成元年一二月七日、右再審査請求を棄却する旨の裁決をした。

5  しかしながら、原告には本件傷害による左膝痛、足腰の痺れや冷感等が依然として継続しているのであるから未だ同傷害は治癒していない。仮に、本件傷害が治癒しているとしても、原告には、寒冷時には左足が動かなくなったり、足の指が痩せてしまったり、左右の足の平均が取れないため体が傾いたりし、そのため左足を引きずって歩行せざるを得ない程の著しい後遺障害が残っている。

従って、本件傷害は治癒し、原告には、障害等級一四級の後遺障害のみが存するとした、本件処分は違法である。

二  被告の請求原因に対する認否並びに主張

(認否)

請求原因1ないし4の事実は認め、5の事実は否認し、その主張は争う。

(主張)

1 原告の本件傷害は、昭和六〇年一一月三〇日に治癒していることは、次のことから明らかである。

(一) 労働者災害補償保険上における「治癒」とは、業務上の負傷又は疾病に対して医学上一般に認められた医療を行っても、その医療効果が期待し得ない状態に至ったときをいう。それは負傷の場合は創面が癒着してその症状が安定したとき、疾病の場合は急性症状が納まって慢性症状は持続してもその症状が安定し、医療効果がそれ以上期待し得ない状態になったときと解されている。

(二) 原告が昭和六〇年四月一二日頃、関西労災病院で治療を受けていた当時の症状は、初診時には痛みを訴えていたものの、左膝(受傷部位)に腫張や動揺性もなく、X線造影では内側半月板がやや大きいことが認められたが、マックマレイテスト(膝半月損傷を検出するための一検査法)の結果は陰性であり、同月三〇日には膝の可動域は、ほぼ正常であったこと。しかし、原告は、その後も痛みを訴えるので、さらに関節鏡検査及びX線造影の検査をしたところ、内側半月板の辺縁のささくれ、オームのくちばし様の損傷が認められたが、やはりマックマレイテスト、アプレイテスト(半月板誘発テスト)の結果は陰性であり、膝に腫張もみられず、可動域は正常と診断されたこと。その結果、同年六月二五日には就労考慮の時期と診断され、同年七月二三日には「八月一日より就労可能」との診断が示され、同年一一月三〇日には症状が固定したものと診断されたこと。

また、右関西労災病院で原告の治療に当っていた北野公造医師(以下「北野医師」という。)は、茨木労働基準監督署長の照会に対して、昭和六〇年一一月七日付けで原告の本件傷害に対する治療経過等につき、「初診時の症状は左膝関節痛であった。その診療の経過(主なる処置)としては、昭和六〇年四月一二日から同年六月二日まで理学療法を施し、筋力増強に努めた。そして、同年六月三日から六月一五日までの期間は、関節鏡検査のため入院させた。本件傷害についての検査の所見としては、内側半月板に軽度の損傷が認められたが、今回は保存的治療のみ行った。六月下旬より就労を勧めている。現在は治癒もしくはその症状は固定している。原告は、右照会があった頃、会社の担当者とも相談のうえ就労する予定であったが、就労しなかった様子である。障害又は障害を残す見込み、又は休業の必要性等については、左膝関節痛を訴えているので、元の職場への復帰は困難かもしれないが、軽作業、坐位であれば支障はない。」旨の回答をしていること。

(三) 新潟県立新発田病院の伊藤惣一郎医師(以下「伊藤医師」という。)も本件審査請求の際には兵庫労働者災害補償保険審査官に対し、昭和六一年一〇月一日付で提出した意見書において、同医師の右当時の診断においても原告の症状は、本件傷害が治癒したと診断された昭和六〇年一一月三〇日前後のそれと特に変化はないとしていること。

2 以下の事実によれば、原告にはその本件傷害の受傷部位である左膝関節に依然として後記のとおりの疼痛等が残存していることから、その後遺障害は障害等級一四級の九「局部に神経症状を残すもの」に該当するものと認定することが相当である。

(一) 北野医師は、昭和六〇年一一月三〇日、原告の傷病の残存障害の状態の詳細は、「歩行痛を訴える。内側半月板に一致して圧痛を訴える。左下肢に軽度の筋萎縮あり。周囲径、右大腿部五〇センチメートル、同下腿部三九センチメートル、左大腿部四八・五センチメートル、同下腿部三八センチメートル。」であり、「膝関節の運動範囲は、右脚伸展〇度、屈曲一四〇度、左脚伸展〇度、屈曲一三〇度」であると診断していること。

(二) 西宮労働基準監督署長の調査官の昭和六〇年一二月二六日当時の障害状態調査によれば、原告には「左膝が歩行時にカクカクと音がするような感じで、歩く時は左膝の内側が痛く、常時疼痛はある。」との自覚症状があるとされていること、また主治医の所見によればX線検査による関節造影によれば左半月板不全損傷が見られるとされるものの、左右の脚の膝上一〇センチメートルの周囲長は、右脚五〇センチメートル、左脚四九センチメートルであって、その差は一センチメートル程度の差異に過ぎず、障害の部位である左膝については外見上腫張は見られず、膝関節の可動機能の測定値は、健側(屈曲一四〇度 伸展〇度)、患側(屈曲一三〇度 伸展〇度)でその可動域はほぼ同一であると判断されていること。

(三) 伊藤医師は、前記意見書において、原告の障害内容について、「左膝及び大腿、下腿に外見上の異常を認めず、明らかな筋萎縮も認めえない。すなわち、左下肢の強い機能障害のために長期間左脚を使えず、強くかばって生活しなければならなかったという事実はないと考えられる。左膝関節の可動域は、診察時に患者の十分な協力が得られず、正しい測定値が得られなかったものの、麻酔下における左膝関節の可動域は正常で、膝の不安定性を示す各種の検査はすべて陰性であった。関節鏡検査では、原因が必ずしも明らかでないが、軽度の滑膜炎の所見が認められ、膝関節痛の存在を他覚的に証明する所見と考えられたが、高度のものではなく、軽症と判断した。関節内の他の各要素、すなわち、関節軟骨、十字靱帯は正常で、半月板も外側半月板は正常、内側半月板は後角のごく一部がわずかに損傷されていたが、臨床的症状を現す程度とは考えにくい所見であった。その他鏡視下での異常は認めなかった。単純X線検査では、左膝関節周辺に軽度の骨萎縮を認める以外、特定の骨損傷はない。」との診断を下しており、「他覚的には、ごく軽度の膝滑膜炎のみであるため、その後遺障害の程度は、既に決定された障害等級一四級の九(局部に神経症状を残すもの)が適当である。」との判断を示していること。

3 以上のとおり原告の本件傷害は昭和六〇年一一月三〇日に治癒し、原告には障害等級一四級九号所定の後遺障害が存するとした、被告の本件処分は適法であることは明らかである。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する(略)。

理由

一  請求原因1ないし4の事実は当事者間に争いがない。

二  成立に争いのない乙第一号証中の裏面の診断書部分、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したのと認められるから真正な公文書と推定すべき(証拠略)の一、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる(証拠略)、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、被告の主張1の(二)、(三)、同2の(一)ないし(三)記載の各事実を認めることできる。

前記当事者間に争いがない請求原因2に記載の本件傷害について治療経過および右認定にかかる事実関係によれば、原告の本件傷害は、昭和六〇年一一月三〇日、治癒していること、その治癒後、原告には左膝部分に障害等級一四級九(局所に神経症状を残すもの)に該当する後遺障害(当該部位に疼痛等感覚異常がある場合で、その程度は労働には通常差し支えないが、受傷部位にはほとんど常時疼痛を残すもの)が残存していたことが認められる。

三  なお、原告は、「原告には本件傷害による左膝痛、足腰の痺れや冷感等が依然として継続しているのであるから未だ同傷害は治癒していない。」「原告には、寒冷時には左足が動かなくなったり、左足を引きずって歩行せざるを得ない程の著しい障害が残っているのであるから、それが障害等級一四級九を超えるものと認定されるべきである。」等と主張しているところ、(証拠略)によれば、伊藤医師は、前記意見書において原告には、被告の主張2の(三)に記載の症状に加えて、「反射性交感神経性萎縮症(但し、軽症)の加味されている可能性がある。そして、関節鏡検査後、左膝に著しい痛みを訴えて松葉杖にすがって歩行する日が長く、これは、通常の他の患者の反応とは大きな差があるので、仮に日常痛みのため生活しにくい事実が客観的に存在するとすれば、外傷性膝関節炎として三から四か月程度の保存・追加的加療を認めるのが妥当である。」との診断した旨報告していること、並びに原告本人尋問中の供述には原告主張の症状に副う部分も存するところではあるが、労働者災害補償保険上における「治癒」とは、被告の主張1の(一)のとおり、業務上の負傷又は疾病に対して医学上一般に認められた医療を行っても、その医療効果が期待し得ない状態に至ったことをいうのであるから、原告に右主張にかかる症状が仮に継続していたとしても治癒と認定することが妨げられないのみならず、前判示の治療経過及び診断結果等によれば、本件傷害は昭和六〇年一一月三〇日には右の意義において治癒(症状固定)したことは明らかである。

また、(証拠略)によれば、伊藤医師は前記報告書において、「原告の右通常の他の患者の反応との大きな差は、補償に関連した異常反応とも考えられる。」と診断しており、また前認定にかかる本件傷害の受傷部分である左膝の可動状況及び診察結果等によれば、原告の膝の症状は伊藤医師が右診断の前提とした仮定的状況ないしその程度は認められないところであり、また本件証拠上他にそれを認めるに足るものはないので、伊藤医師の右意見も前記治癒並びに後遺障害の程度等判断を左右しない。

そして、原告の前記主張に係る後遺障害が前記障害等級一四級九を超えるものであるとすれば、それは障害等級一二級七(一下肢の三大関節中の一関節の機能に障害を残すもの)、または同一二級一二(局部に頑固な神経症状を残すもの)ないしそれを超える等級に該当するとの主張になるものと解されるが、「一下肢の三大関節中の一関節の機能に障害を残すもの」とは、関節の運動可能領域が健側の運動可能領域の四分の三以下に制限されることであり、また局部に頑固な神経症状を残すものとは、他覚的に神経系統の障害が証明されるもので、労働には通常差し支えないがときには強度の疼痛のためある程度差し支える場合があるものであると解されるところ、前記認定にかかる原告の左膝関節部の機能障害の程度によれば、原告の右後遺障害は、労働には差し支えないが受傷部位にほとんど常時疼痛をのこすものと解釈される一四級九の症状を超えるものとは到底判断しえないし、また右一二級七に該当する機能障害は存しないことは明らかである。また他に前記原告の主張を認めるに足る証拠もない。

三  以上によれば、本件処分は適法であって原告の本件請求は理由がないので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 長谷喜仁 裁判官 廣田民生 裁判官 野村明弘)

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